
今日から、この4脚の椅子の修復を始めまーす。
これらは、フィレンツェで手に入れた物で、同市内に住むお金持ちの未亡人が、老後を郊外で過ごす為に、家財道具の一部を処分した際に出た物です。
典型的な、ビーダーマイヤー ( Biedermeier )様式を持ち、制作者の技術、計算され尽くしたフォルム、共に文句のつけようのない、いわゆる優等性的な家具であります。
この形は、オーストリア・ウィーンのものでしょう。製作年代は1825年頃。当時のイタリア半島北部がオーストリア帝国の支配下にあった事を考えれば、制作地をウィーンとし、オーストリア人によってロンバルディアに持ち込まれた後、1859年、オーストリアのロンバルド=ヴェネト王国からの撤退と共にイタリア人の手に渡り、1861年のイタリア王国成立以降、トスカーナ地方まで南下して来た物だろう、という解釈が自然かと思います。そうだとすれば、元オーナーの御婦人のおじいさんのコレクションの一つであった、という話とも年代的にはつじつまが合います。
まあ、確証なんて、何処にも無いんですけど。でも、こういう、様式のはっきりした物っていうのは、歴史的、社会的、文化的背景からおおよその事は推測し易いのも事実です。

一つ一つ詳しく見ていく前に、ビーダーマイヤー様式について簡単に説明しておきます。



年代学的に、美術、工芸品等におけるビーダーマイヤー様式とは、ウィーン公会議が招集された1815年から、1848年、ヨーロッパ各地で革命が連鎖的に勃発した年までをさします。
発祥はドイツ連邦、ムーヴメントの中心的都市がウィーンです。
当時のドイツ連邦と言えば、ナポレオン戦争終結直後。もう戦争はなくなったとはいえ、経済的には疲弊しきっていました。特に打撃を受けたのは、いわゆるプチ・ブルジョアジー階層の人たちでした。一応勝ち戦とはいえ、“こんなにぼろぼろになっちゃったんじゃ、この国の経済を頑張って支えてきたって、なーんの意味もなかったじゃん。
ぶつぶつ・・・” という空気が流れ始めていました。そのうち、“政治思想や、国家の理想なんて、Vàffancu...
もとい、○○くらえだ。そんな事よりも自分たちの生活を守って、楽しく生きる方が大切だ” と、みんな思うようになってきました。巷では風刺週刊誌が飛ぶように売れ、その中の架空の登場人物、ビーダーマイヤー氏の、セコくも楽しいキャラクターや、生き方は多くの人々の笑いと共感を呼びました。
・・・そう、
ビーダーマイヤーとはいわゆる
“プチ・ブル根性”を指すコトバだったんです。
とはいえ、プチブル根性だって、最初は高い志を持っていたんです。家具の話をすれば、それ以前は、まだ、猫も杓子も、インペリアル様式、(ナポレオンの敵だったくせして、家具のスタイルはナポレオン(エンペラー)様式が流行してたんですね…) たくさんのキラキラした飾りや、シンボリックな彫刻、高価な木材をふんだんに作った重厚感のある家具が好まれていました。
初期ビーダーマイヤー様式は、これを
“虚飾だあっ!”とはねつけます。
そして、もっと質実剛健なもの、自分サイズのもの、を求めようとします。
よりシンプルに、よりコンパクトに、マホガニーなんて高い木を使わなくったって、美しい家具は出来る。装飾より、フォルムそのものの美しさをデザインしよう… こうして生まれたのがビーダーマイヤー様式です。
まあ、そうやって技術的にもデザイン的にも、大きく発達するわけですが、やっぱり、“金銀を使わないで、ピカピカの装飾が出来る(メッキ)技術”が発達すると、使ってみたくなるのが人情で、後期ビーダーマイヤー様式の中には、ごっつーい、安ピカ装飾いっぱーい、の物も出てきます。
(初心を忘れやがってっ!この、プチブルめがっ!) でも、全般には、やっぱり、非常に高い技術に支えられた、斬新、かつエレガントなデザイン(後のアール・ヌーボーへと引き継がれてゆくような)は、特筆すべきものがあります。高価な木材を節約する為に、家具の心材にはブナや、モミ、その辺にあるような木を使い、表面にはクルミやマホガニー、オーク等の薄い板(3ミリから5ミリ位)を貼って仕上げます。木地の色を上手く使えば家具全体を象眼で覆う事になりますし、より自由なデザインが可能になります。殆どのビーダーマイヤー様式の家具に使われるテクニックです。もちろん以前からあった方法ですが、この様式で、ある一つの高みに到達した、という意味で重要な特徴といえます。ウィーンへご旅行の際は、ぜひ、“応用美術博物館”を訪れてみて下さいね。ボーダイなコレクションを所蔵してます。
さて、オーストリア人からイタリア人へ、そして今、日本人の手に渡った我らがイス君達。革命や、世界大戦の戦火をくぐり抜け、ひょっとしたら、フィレンツェの大洪水で溺れそうになりながら、200年近くの歳月を生き抜いてきた彼らの話に耳を傾けてみましょう。乞うご期待っ!
(もう、ちらっと見ただけで、イヤーな予感がしてるんですけど…)HP・
La Bottega Artistica はこちらから。


長かったなあ〜Anghiariを出て、もう2年ぐらい経ったような気がするなあ。8月、9月、10月・・・ああ、でもまだ半年なんだ…。
10年前、東京を飛び出した時も、ちゃんと考えたつもりが、実は肝心な事はなーんにも考えていなかったもんだから、予想外の(こういうコトを予想するべきだったんだよなあ)障害にバコバコぶつかっちゃって…でも、もう後悔してもおそいからっていうんで、やみくもにひたすら前進するしかなかった。…それで、まーた同じ事を懲りずに繰り返してる。ばかですな、わたしは。まあ、結局は今回もひたすらゴリ押しするしかないんですけどね。
・・・と、いうわけで、
La Bottega Artistica in 東京、
正式にオープンいたしましたー これもひとえに、わからんちんの私を何とか救おうとして下さった日本の様々な業種の方達の御蔭であります。特に、輸入の件でお世話になった井上さんには、この場を借りて、ありがとう1000回と、ごめんなさい20回と、約束は守るからね、を1回、言わせていただきます!
それから、突然やって来た“独り”によるダメージから救ってくれた新しい友達に、“ありがとう”と“これからもよろしくね”を1000回ずつ!
もちろん、Anghiariから電話や手紙で元気づけてくれる友達にも 1000(mille)“Grazie”! でも、日本語読めないからなあ、ここで言ってもなあ…

最初は、この殺風景な工房がだいっきらいだったけど、え〜みちゃんを始め、友達が寄ってくれるようになったら、最近、少しここの風景もカスタマイズされてきたような気がします。

まあ、ここまでカスタマイズされるのは無理でしょうけど…
それにしてもきたねー工房だなぁ一番最初の訪問者、直子ちゃんは神様の話をしに来ます。どうも神様は幼少の頃から、私の人生のベースの部分を陣取っていて、東京で、独ぼっちの時に最初に現れたのが、彼女だったという事も、きっとまだ、神様に見捨てられたわけでもないという暗示かも知れません。
それから、この工房を探してくれた不動産屋の高山君、星野君、不動産屋とは仮の姿、実は、その友人であるウズベキスタン人のジャン君と、ある壮大な計画をもくろむ地下組織なのだ。(私には、さっぱりわからない)アンギアーリでは、所謂、うだつの上がらない若造どもと一緒に、壮大であるばかりの計画を、顔を突き合わせては豪語していたから、なんか私はこういうのが嬉しかったりするんだな。
そして・・・品川区、西品川、戸越銀座や大崎をご存知の方達に、耳寄りな情報をこっそり教えちゃいましょう。

私はもともと主食がパンであります。イタリアでも、もちろんそうでしたが、こっちへ戻ってきて思った事は、“あれ、パンが違うぞ”です。
まあ、別に、日本で作られてるフランスパンやドイツパンやイタリアパンだって、おいしいからいいんですけど。でも、最近、偶然私の工房の近所にパン屋さんらしきものを見つけて、買ってみたら、
“あれ、ヨーロッパのパンだ”

それで、このふつーにヨーロッパなパンをベースにしたサンドウィッチがまた、めちゃくちゃふつうにおいしいんですよ。サバとかイワシの焼いたやつを挟んである小さなフランスパンとか、
野菜とかキノコのソテーがばさっと挟まってるfoccacciaとか。
とにかく、豊かなんです。発想も作り方も自由で遊びっぽい。そこがきっと、
ヨーロッパのサンドウィッチ専門の屋台で食べる、ファンタジー溢れるサンドウィッチの味がする!理由なのかもなあ。

その名も
PICNICS まさに、って感じ。イート・インもできるけど、サンドウィッチなんかはアウトドアで食べるのがおいしいだろうなあ、そのうち、ワインのコップ売りでもしてくれないかなあ…
他にも、ベーコンのエピ、極めつけはオリーブの実を一個フランスパンの生地でくるんだ小さなお団子みたいなやつ。
・・・ワインに合います。飲まずにはいられないくらい…困った事に。
品川区に住んでる方、これを食べなきゃもったいないですよ!表参道へ行ったって、六本木へ行ったって、こんなに素直においしいヨーロッパのパンは食べられませんよっ!

さっそく、アクセスして、おひるはpicnicsのサンドウィッチだー。

ANGHIARI へのノスタルジアも、だんだん前向きな意志を後押しする要素に変換していかなきゃ。ゼロからの出発。この半年間で新しく手に入れたものは大事にしたいです。
Amoreいわく、“ Bisogna cogliere, hai buoni numeri da giocare!" (手を伸ばして掴めるものは何でも取りに行きなさい、君はこのゲームに有利なカードをたくさん持ってるんだよ!)

HP・
La Bottega Artistica はこちらから。


あー、まーたブログ更新に大穴をあけてしまった…。
でも、HP、リニューアルしたんですっ! あとは、古物のネット販売許可が下りるのを待って、やっと、La Bottega Artistica 正式にオープンできそう…って、まだ何かあったりして…。
雑用から解放されて、本業が軌道に乗るのは一体いつの日になる事やら…
まあ、でも、もうすぐ“修復してます”シリーズ第2弾を始められそうなので、今日は、前置きとして、前回ちょっと触れた " PATINA "(パーティナ)について考えてみたいと思います。
PATINAとは、全ての古いもの全般(美術工芸品、書物、建築物など)において、時間や自然条件など、様々な外的要因によって起こった素材そのもの、また素材表面の変質や変化で、所謂“趣のある古くささ”を醸し出している外的要素のことです。アンティーク家具におけるPATINAは、木材そのものや、金属やその他のパーツの黒ずみや、歪み、摩滅、塗装層の堆積、修復の痕跡などがその具体的な現象です。ただし、“汚れ” と認識されるべきものはこのカテゴリーには入りません。
さて、一体、誰が、何を“汚れ”と判断し、またPATINAであると判断するのでしょうか。

例えば、この大扉はBagno di Romagnaという街の司法長官舎の入口にあります。16世紀半ばのものです。真っ黒になって何の木なのかも判りません。何世紀にもわたる・・・さて、これを”汚れ”と言うのか、PATINAと言うべきか・・・この表面を覆っている黒い層の正体は、ワックス等、かつて施された油性の塗膜に、埃等が付着してセメント化したものです。所詮、どちらも自然に形成されてゆくもので、これを「きたなーい」と思うか、「かっこいいー」と思うかは人それぞれです。しかし、何か決定的な基準を設ける必要が、特に文化財修復には絶対にあるわけです。この場合、私達は、迷わずこれを“汚れ”と判断し、溶剤で一度全ての塗膜を剥がしました。なぜなら、この黒い塗膜は歴史的文献としての価値を覆い隠してしまうからです。
PATINAであることの条件は、その物のオリジナルの状態についてのいかなる情報も隠していない事、がまず第一です。
その次に来るのが、その物の将来性です。今後も機能すべき物なのか、機能を停止して、その歴史を完結すべき物なのか、ということになります。後者であれば、もはや、機能における強度より、オリジナルの辿った時間の経緯をそのまま保存する事が優先されるようになります。歪みや、腐蝕も残したまま、それ以上それが進行しないような処置を施します。欠損部の修復もそれが明らかに見えるような方法や、素材を選びます。
しかし前者の場合は少しばかり厄介で、個人使用となるとますます、PATINAの概念はあやふやになりがちです。
先に、この司法長官舎の大扉について話を終わらせてしまいましょう。

いまも、こうして、Bagno di Romagnaの中心街でちゃんと機能しています。200年後もこのままいけるんじゃないでしょうか。100年程前に大々的に修復された形跡がありましたが、あまり良いものではなかったので、もう残っていません。汚れ、と見なされちまったんですねえ…文献として細かく記述されてはいますが、なんか、それもちょっと“カッコわる”って感じ。明日は我が身かー?
さて、文化財として保護されていない民間のアンティーク家具のPATINA をどう定義したらいいのでしょうか。
La grande difficoltà connessa al mantenimento della patina, insieme al rispetto per la leggibilità delle opere e al prolungamento della loro vita fisica, richiede un'azione critico filologica preliminare all'intervento sul mobile". Quest'azione ci permetterà di determinare in ogni caso specifico come si possano conciliare, nel modo più rigoroso ed etico possibile, i fattori sopra citati.
・・・・・Qui la patina si converte in un concetto discutibile e soggetto a valutazioni personali alle mode del momento. 作品の素性は明らかでなければならないという条件と、作品の物質的な寿命を延ばすという目的を維持しつつ、PATINAを保存することは大変に難しい問題である。このとき要求されるものは、事前に文献的批評を行う事であり、この実践によって、様々な要因を調停しうる厳格かつ倫理的な決定が可能となるであろう。・・・けっきょく、PATINA は常に議論される定義であり、その時代の流行によって個人的な価値判断によって変化するものである。
・・・って、公式な機関も、あんまり説得力のない規定の仕方しかしてないんですね。ケース・バイ・ケース、ってとこですか…
わたしは、あんまりPATINAを意識しません。こいつはそんなにデリケートなものでもないと思うんだけどなあ。パーツをそっくり替えちゃわない限り、PATINAはしぶとく残ってます。歪んだ材を真直ぐにした痕は新しいPATINAになるし、溶剤で表面の塗膜を剥がしたって、カンナでもかけない限り材の素地なんか出てきません。
私は、“善い意志”をもって“修復”されたアンティークは、決してその魅力を失う事はないと信じていますし、表面的な色に手を加えない事をPATINAを保護する事とは思えません。写真しかお見せできませんが、上の大扉、美しいと思うでしょ?
まあ、今後も躊躇したり、考え込んだりしながら、修復していこうと思います。これを読んで下さる方達に、改めて、ありがとうを言います。おかげさまで、マルケ州の整理ダンスは無事修復完了して、めでたくHPにアップしました。
新しくなったHP・
La Bottega Artistica はこちらから。


あけましておめでとうございます。
2008年が皆様にとって幸多き1年となりますように。


受難の時をじっと静かに耐え、救いの時を待つ。静かに一緒にいる。
(ルカ 2:45~51、ヨハネ19:25)
Amen
“La Bottega Artistica in Tokyo”、今月中には正式オープンできますように!
HP・
La Bottega Artistica はこちらから。

