あー、まーたブログ更新に大穴をあけてしまった…。
でも、HP、リニューアルしたんですっ! あとは、古物のネット販売許可が下りるのを待って、やっと、La Bottega Artistica 正式にオープンできそう…って、まだ何かあったりして…。
雑用から解放されて、本業が軌道に乗るのは一体いつの日になる事やら…
まあ、でも、もうすぐ“修復してます”シリーズ第2弾を始められそうなので、今日は、前置きとして、前回ちょっと触れた " PATINA "(パーティナ)について考えてみたいと思います。
PATINAとは、全ての古いもの全般(美術工芸品、書物、建築物など)において、時間や自然条件など、様々な外的要因によって起こった素材そのもの、また素材表面の変質や変化で、所謂“趣のある古くささ”を醸し出している外的要素のことです。アンティーク家具におけるPATINAは、木材そのものや、金属やその他のパーツの黒ずみや、歪み、摩滅、塗装層の堆積、修復の痕跡などがその具体的な現象です。ただし、“汚れ” と認識されるべきものはこのカテゴリーには入りません。
さて、一体、誰が、何を“汚れ”と判断し、またPATINAであると判断するのでしょうか。
例えば、この大扉はBagno di Romagnaという街の司法長官舎の入口にあります。16世紀半ばのものです。真っ黒になって何の木なのかも判りません。何世紀にもわたる・・・さて、これを”汚れ”と言うのか、PATINAと言うべきか・・・この表面を覆っている黒い層の正体は、ワックス等、かつて施された油性の塗膜に、埃等が付着してセメント化したものです。所詮、どちらも自然に形成されてゆくもので、これを「きたなーい」と思うか、「かっこいいー」と思うかは人それぞれです。しかし、何か決定的な基準を設ける必要が、特に文化財修復には絶対にあるわけです。この場合、私達は、迷わずこれを“汚れ”と判断し、溶剤で一度全ての塗膜を剥がしました。なぜなら、この黒い塗膜は歴史的文献としての価値を覆い隠してしまうからです。
PATINAであることの条件は、その物のオリジナルの状態についてのいかなる情報も隠していない事、がまず第一です。
その次に来るのが、その物の将来性です。今後も機能すべき物なのか、機能を停止して、その歴史を完結すべき物なのか、ということになります。後者であれば、もはや、機能における強度より、オリジナルの辿った時間の経緯をそのまま保存する事が優先されるようになります。歪みや、腐蝕も残したまま、それ以上それが進行しないような処置を施します。欠損部の修復もそれが明らかに見えるような方法や、素材を選びます。
しかし前者の場合は少しばかり厄介で、個人使用となるとますます、PATINAの概念はあやふやになりがちです。
先に、この司法長官舎の大扉について話を終わらせてしまいましょう。
いまも、こうして、Bagno di Romagnaの中心街でちゃんと機能しています。200年後もこのままいけるんじゃないでしょうか。100年程前に大々的に修復された形跡がありましたが、あまり良いものではなかったので、もう残っていません。汚れ、と見なされちまったんですねえ…文献として細かく記述されてはいますが、なんか、それもちょっと“カッコわる”って感じ。明日は我が身かー?
さて、文化財として保護されていない民間のアンティーク家具のPATINA をどう定義したらいいのでしょうか。
La grande difficoltà connessa al mantenimento della patina, insieme al rispetto per la leggibilità delle opere e al prolungamento della loro vita fisica, richiede un'azione critico filologica preliminare all'intervento sul mobile". Quest'azione ci permetterà di determinare in ogni caso specifico come si possano conciliare, nel modo più rigoroso ed etico possibile, i fattori sopra citati.
・・・・・Qui la patina si converte in un concetto discutibile e soggetto a valutazioni personali alle mode del momento.
作品の素性は明らかでなければならないという条件と、作品の物質的な寿命を延ばすという目的を維持しつつ、PATINAを保存することは大変に難しい問題である。このとき要求されるものは、事前に文献的批評を行う事であり、この実践によって、様々な要因を調停しうる厳格かつ倫理的な決定が可能となるであろう。・・・けっきょく、PATINA は常に議論される定義であり、その時代の流行によって個人的な価値判断によって変化するものである。
・・・って、公式な機関も、あんまり説得力のない規定の仕方しかしてないんですね。ケース・バイ・ケース、ってとこですか…
わたしは、あんまりPATINAを意識しません。こいつはそんなにデリケートなものでもないと思うんだけどなあ。パーツをそっくり替えちゃわない限り、PATINAはしぶとく残ってます。歪んだ材を真直ぐにした痕は新しいPATINAになるし、溶剤で表面の塗膜を剥がしたって、カンナでもかけない限り材の素地なんか出てきません。
私は、“善い意志”をもって“修復”されたアンティークは、決してその魅力を失う事はないと信じていますし、表面的な色に手を加えない事をPATINAを保護する事とは思えません。写真しかお見せできませんが、上の大扉、美しいと思うでしょ?
まあ、今後も躊躇したり、考え込んだりしながら、修復していこうと思います。これを読んで下さる方達に、改めて、ありがとうを言います。おかげさまで、マルケ州の整理ダンスは無事修復完了して、めでたくHPにアップしました。
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