さむい、さむい、
さむいよおおお〜っ
イタイ、かゆい、
イタがゆいよおおお〜っ しもやけが
んでもって…
のん ちぇ ら ふぁっちょ ぴぅぅ! (もーやってられっかー!)
とも1: " Poi ? Basta così ?"
「それで? 気が済んだ?」
とも2: " ....Sì....ce mi rimetto...
「…うん…仕事に戻るよ…」
しかし…この寒さはあり得ない…あの、どんよりした、暗い、アンギアーリの冬よりも東京の方が寒いなんて…
気温としては、東京と大して変わらないか、全体的に2度くらいアンギアーリの方が低いんだけどなあ。工房の中は火気厳禁、クラウディオと電気ストーブの譲り合いしてるうちに、2人のどちらからも離れたところでこの電気ストーブは独りで電気だけ食っていた…
ここでは、電気ストーブ、独り占めしてても、手足はしもやけだらけじゃ…いったい何が違うっていうのよ…
ぶつぶつ…
んでもって…
VIN BRULE`! ゔぃん ぶりゅれっ! おもためのあかわいんにしなもんぐろーぶかるだもんろーりえじんじゃーなつめぐおれんじとれもんのかわをいれて99.8°Cまでかねつしたら点火!
ぼぅっ!
これっ!どこが火気厳禁ですかっ
その名も Vin Brulé = Vino bruciato = 焦がしたワイン。 ヨーロッパの漢方薬か、煎じ薬か… 沸騰直前のスパイス入りワインの表面でうろちょろしてるアルコールを燃やしてパフォーマンス。それにお砂糖か蜂蜜を入れて、ズズーッとすする…
あ゛ぅ゛〜 マズーイ!もういっぱーい
>ж<↗
シナモンとグローブとオレンジ、レモンの皮くらいだけでやればけっこうおいしいけど、やっぱり、強力に作用するのはアンティークなレシピだというのは、単なる思い込みでしょうか。これは風邪に効く、風邪の予防になる、とにかく殺菌効果が期待できる飲み物だそうで、アンギアーリではばかでかい銅の鍋を、暗い城壁内通路に設置してグツグツ…ぼうっ!ってやって売ってます。何か怪しげで、他にトカゲやカエルなんかも入っていそうな雰囲気。
“おやすみ前のVin Brulé、これであなたも風邪知らず。ぜひおためしください。♪” 、というわけで、おやすみなさぁい ♡
・・・・・じゃなくって、仕事、仕事。妙なエネルギーでテンションあがってきた…!
ハッ・・・
Vが、うらめしそうに見ている…!
はいはい、心配しないでいいよ。今ちゃんと治すからね。
Vの骨折の場合、VIIIに比べてましな点は切断面、すなわち接着面がかなり大きい、という事です。パッキリ折れた、というより、メリメリッと裂けた、という感じです。ただ、切断面が汚いのと時間が経っているのとで、ぴったり接合しても内部は隙間が沢山あります。膠は、ボンドに比べて、このように接着面が荒れている場合有利な性質を持っています。接着面が荒れている方が接着効果が高いので、接着面をわざとそれ専用の、鉋(刃が鋸刃状になっている)で引っ掻き傷をつけてから接着します、一方ボンドは接着面は完全に平らな面で密着しているべきです。
しかしながら、ここまで荒れているのは困りものですし、ボンドに比べると、やはり長い目で見た時の接着力は劣ります。この部分はもう、はがれてはいけない場所なので、使用する接着剤はボンドがよいでしょう。この場合の解決策は、"colla e segatura" (のりとおがくず)です。クルミのおがくずをボンドで練って作ったパテを、ボンドを塗った接着面同士の間に塗り付けてから、クランプで締め付けます。パテの余剰分が接着面の周囲全部からはみ出せばOKです。乾燥時間を多めに取ります。
乾燥したら、試しにちょっと手荒に扱ってみて(ゴムのトンカチでガンガン…)、不安なようなら、化粧板を剥がして中に心材のバイパスを入れて補強します(VIIIは接着面が小さかったので、その必要がありました)。今回は大丈夫のようなので、これで再結合完了とします。でも、化粧板はかなり損傷していて、結合がきれいにピタッと行きません。パテで埋めて、絵の具を塗ってありましたが、これは美しくありません。
別の木片で象眼する事にします。ひび割れに見える結合部分の周囲だけを、オリジナルの木目と違和感のない形に切り取って、オリジナルと同じような木目を持つ板を象眼の要領ではめ込みます。失敗すれば悲惨です。ひび割れは1本の線ですが、失敗した象眼は2本の不調和な線を作る事になってしまいます。
左の写真はVIIIの時のものです。茶色の太いラインは木目の流れです。黄色い細い線が象眼する為に切り取ったラインです。このように、複雑に湾曲した面に平らな木片を正確にはめ込むのはけっこう厄介な作業です。板の断面の角度が一点一点変わるからです。どんなに細心の注意を払っても、どこかに隙間が出来てしまいます。隙間はパテで埋めればよいのですが、それが目立っては困ります。その為に、パテの線が周囲の木目と同じ流れになるようにするのがコツです。もちろん新しく挿入する板の木目も周囲と同じ流れにしなくてはなりません。この際、同じクルミの古材(がベスト)であれば色調の違いはあまり問題にしなくて大丈夫です。色なんて、後でいくらでも修正がききますから。
もし、同じようにラインが見えるなら、左の方が“美的”なレヴェルで修理としては優れているのではないでしょうか。どんなタイプの家具にもやるわけではありません。この椅子の生まれ持った精緻な美に見合った仕事だと思うからやるべきだと感じたわけです。
サイドも、欠けを捕捉した四角い木片がそのまま見えています。上を覆っていた化粧板はうやむやにフェイドアウトして欠損しており、輪郭のつじつまはパテで合わせてありますが、あるべき姿に戻す為に、ここも象眼を入れて補修します。
今、白っぽく目立っている面は色を修正すれば面としての違和感はなくなります。殆ど隙間もなくはめる事が出来たので、遠目からは修復箇所は殆ど判らなくなるでしょう。近くで見た時が問題です。この新しく挿入された面が美的に価値があるかどうか、
完成するまでは何とも言えません。
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9年間アンギアーリで最初で最後の外国人として彼の地の学生と同じように文化を学び、国家試験を受け、卒論を書き、自らの工房を開き…町の人と歴史にささやかな貢献をしながら当たり前に生きて、当たり前に自分の家族を想って帰ってきたこの日本。この国の西洋アンティークに対する概念が、どういうものなのかなんて考えもせずに、イタリアの修復文化を紹介するんだ、なんて意気込んでたけれど、最近、この国のアンティーク事情を知るにつれ、心中おだやかではいられなくなっているのが本音です。
このブログを見て下さっている方には修復文化っていうものをほんの少しでも解っていただけるように説明できているといいのだけれど…。
やたらと大規模な企業と化したアンティーク家具屋なんて、理論的にあり得ないよ。
こんなもの、見た事ない。きっと、根本的なアンティークの概念を理解していないからできちゃう事なんだろうな。何を知らないかを知らない事は重大ですよ…。
100年以上の時を経て、無傷のものなんてあり得ません。それがいまだに機能しうるのは、修理屋がいるからなんですよ。美しく、物を語る、得体の知れない古物達が年を重ねるごとになお美しくあるとすれば、それはよい修復屋がいるからなんですよ。
本当に偶然、Yahoo!の掲示板で“向うじゃ100年、200年前のアンティーク家具が二束三文で売られてるのに日本じゃバカ高くて手がでない。第一、日本に100年以上前のものなんかない、本物のアンティークはどこにあるんだ”みたいな投稿を見ちゃって、
何か、悲しくなっちゃった。修復された200年前のものが二束三文で売られてるのなんか見た事ないし、あり得ない。そういうアンティークには絶対価値みたいなものがあって、常に修復(機能するように修理する事が修復ではなく、その物にふさわしい状態で保存しうるようにする、という意味で)済みの値段がつけられています。保存、修復の意志の介入を受けないまま朽ちてゆきつつある物がかなり低い価値を付けられている事はよくありますが、それを修復したとたんに価値が上がります。間違っても”値段があがる”とはいいたくないです。価値、と値段はまた別の次元の問題です。
売る側も、買う側も、なんだか、“似て非なるもの”を混同した、中途半端な概念のベースの上で成長してしまってるように見える…。
私はー、あきらめずに、草の根的にでもこの興味深い文化を紹介していこうかなあ、と…でもなあ、難しそうだなあ。私だって、まだ勉強したい事、一杯あるしなあ。
…おっと、長くなっちゃった。まあ、始めたばっかりだし…まだ音を上げるには早い、でしょ。
Amore mio, io ce la faccio affinché tu esista su questa terra su cui vivo anch'io!
HP・
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