アンギアリ市の周辺に点在する小さな集落、かつてこれらは全て封建領主達の居城を中心とする城塞都市でした。このような小さな国々は外国や近隣の勢力からの侵略に対抗する為にお互い協力しあって共存していく必要がありました。
現在のアンギアリ市の構成も、ほぼ当時の共同体と変わっていません。
右図は1600年代の各城塞都市とそれらを結ぶ道路、誰が、どの畑を管理していたか、が記されているものです。丘の斜面を占める黒い森、ここには今も樹齢千年を超えるようなクリの巨木が立ち並んでいます。
秋の夜、森の方からどーんという、地響きにも似た轟音がする事があります。樹齢何百年というクリの木が、自分のつけた実の重さに耐えかねて枝ごと裂けて倒れる音です。しかしそれはこの樹の最後ではありません、春になればその裂け目から新しい枝が伸び、それがまた太い幹となります。そうして、樹齢千年の樹ともなれば、その姿はまるでお化けのようで、昼間見てもちょっと怖いようです。
Vaglialle (ヴァリアッレ)、我らがライティングテーブル君が生まれて育った場所も、そんな森をすぐ真後ろに控えた丘の斜面に建っています。12世紀に建設されたこの城塞都市の一番東に位置するロマネスク様式の教会堂、San Biagio ( サン・ビアージオ)教会、ここが彼の家でありました。
1900年代にはもはや無人となっていたこの教会堂も、1800年代迄はまだカマルドリ会の僧侶が修道生活を送っていました。もともとカマルドリ修道会というのは、集団で修道生活をしているというよりも、独りで、人里離れた自然の中に身を置いて、修行するのが常で、この栗の森の中にも小さな庵を見つける事ができます。それでも1日の内、陽がある間は、この Vaglialle のような集落へ降りて来て農作業をしたり、神父としての仕事をしたり、野山で摘んだ薬草を使って村人を癒したりしていたようです。
この粗末なテーブルも、そんな僧侶が里へ降りて来た時に使っていたものなのでしょう。年代的には1875〜6年位だと思います。写真ではやっとこさ立ってるように見えますが…、そうです、やっとこさ "立たせて" あるんです。何しろ全壊してるんです。
2003年の夏の終わり、夜中に森の方からどーんという轟音がして、“栗の木が倒れるにしちゃ、まだ時期が早いな”と思い、翌朝自転車で森の方へ行くと、もう、役場の人やら建築家やらが沢山来ていて、" Vaglialle の教会の屋根が落ちた”と聞かされました。
私は個人的にこの教会が好きで、つい数日前にも、クルミを拾いに来たりしていたのに…
数日後の撤去作業の日々には町の修復師も立ち会って、堂内の備品を引き取る事になりました。私達の工房には説教台が割り当てられ、
ただただデカイだけで色気も何もない…って、文句言っちゃぁいけましぇん あらかたの備品が持ち出された後、瓦礫に埋まったこのテーブル君の脚を見つけた私は、
“ここに何かあるけど、いいの?”
— “ほっとけよ、大したもんじゃないだろ”
ー “じゃあ、私がなおすから、持ってってもいい?”ー
というわけで、ぺっちゃんこにはなっていたものの、パーツだけは一応回収しました。アンギアリへ帰って老修復師のトニーノに見せると、“材がいいから、脚も折れてないし、かわいいのを見つけたな。でも、なおすの大変だぞ。”と言いました。
その後は学校も始まって、飛び級審査の為の試験と、卒業試験で地獄のような1年を過ごし、このテーブルはガス室(ムシクイがひどかったので)に入りっぱなしで数年を送るハメになってしまっていたのでありました…。
そのかわり、虫はもういませーん。ご安心下さい。
里親になって下さろうと申し出て下さったMさん、大変お待たせしました。
また明日もよろしくお付き合い下さいますよう、よろしくお願い致します。
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